足をついてもいいやんか

ゆっくりのんびりですよ

子どもが発達検査を受けました。

先日子供の発達検査受けてきた。これは幼稚園から話があったことで市から発達検査の人が幼稚園に来て検査をしてくれるらしかった。

自分の子供を客観的に見る難しさ

正直自分の子供が発達検査が必要と言われるのはあまり気分のいいものではない。定型発達してくれる方が良いとは思う。しかしだ、このように発達検査をして見ませんかと園側から言ってくれるのは逆に発達についてしっかりと見てくれているという安心感にもつながるものかなと思ったりもする。

それに、職業柄(障がい福祉職)確かに言われてみれば何か引っかかるなぁと思う節はあるにはあったが気のせいだろうと思っていたのでやっぱり第三者の目が入る必要性と言うのはあるんだなぁと思ったところである。

自分の頃は

しかし60代などの世代にとってはこういった発達検査等に行くかかると言う事はありえないことであると言うような認識であると思われる。
実際に両親は検査することになったことを伝えるとありえない、なんでうちの孫に限ってなどと言っているのである。

自分は逆にきめ細やかな教育あるいは療育をしてくれる準備のための検査と思っているのでこういった検査が必要であると思っているのであるがそれを理解をしようとはしてくれない。

さてこの発達検査だが自分が小学生の低学年の時授業中席に座っていることができず走り回っていたりしていたそうで、その時に母は私の悪いところばかり見ず良いところを見てくれと教師に詰め寄ったそうだ。そんなエピソードを自慢げによく言うもんだから自分が最初うつ病を発症したときに幼少期にあってそういうことがあったからADHDではないかと疑ってしまい検査まで受けたものである。

あまり大きな問題だとは捉えないようにしている

検査を受けることになった子供の話に戻すが実際に生活上困っていることと言えば多少なりともあるにはあるが発達・成長の上で何とかなっていくのではないかと思われるようなことばかりである。常識を知る中で我慢ができていくようになりその行動を我慢できるようになったりだんだんとその発達に関係する部分に関する発育が追いついてきたりするもんではないかと、楽観視はしている。

個性とまでは言わない。自分もおそらく定型発達はしていないタイプで今だに癖のある発達の影響を受けているのではないかと思う事が多い。というか、個性と発達障害の線引きは難しいところであると思う。

ただ、我慢が多くなるとその分、ストレスに弱くなったりするのではないかと思う。自分がそう思うから。そうはなってほしくないなぁと願う分、甘く接してしまうことはあまり良くないことだろうか。