キュウリの花から見る親としての自分
はじめてのプランタ栽培でうまくいくか心配でした。
庭で育てているきゅうりの苗なのですが、少しづつ育ってきて花も咲き始めました。
正直、直射日光の当たる時間も短く殆どうまくいかないんじゃないかと思っていましたが、少しづつ少しづつ大きくなってきているので何とかなりそうです。
育てる対象に社会性があるかないか
さて、きゅうりのように環境さえ整っていれば育ってくれるものと、環境に加えて社会性が必要な育てる対象があります。子どもたちです。
コミュニケーションが取れるようになってきて社会性がでてくるようになると、どうも僕にはその対象が苦手になってくるようです。特に3歳~8歳くらいまでの間。
それ以降はまともなコミュニケーションが取れる、ある程度自分でしてくれるので手間がかからなくなる、手間がかかったとしても説得して我慢してもらえたり説明して納得してくれたりするのでこちらとしても手応えを感じることができます。
不完全な社会性は理解できない
しかし3~8歳位の意味のわからないコミュニケーションやわがまま、何を要求するのかわからない号泣。
一体どうしていいのかわかりません。
わからないからと言ってほうっておくと縋り付いてきてかまってかまってとまた泣き出します。逆にしてほしそうなことや今しなければいけないことを手伝おうとすると、拒否してきます。
キュウリの花からすると
キュウリの花からすると、ただの植物。しかも食べ物の自分は可愛がられて、自分の子どもに怒りをぶつけている姿を見て、人間とは不思議な生き物だと思われているのかなぁと、最近の自分を客観視すると感じます。