ガンダムUCを一気見して言語コミュニケーションの不便さについて考える
どうも、いちごようかんです。
アマゾンプライムビデオでガンダムUCを一気見してしまいました。
一気見に便利なアマゾンプライムビデオはこちらから。
ガンダムUC
これぞガンダムという、ちょっと関係者だけど民間人の少年がガンダムのパイロットとなって様々な困難に立ち向かって行くストーリー。
また、初代から続いて出演しているキャラクターも居たりして熱中してみてしまいました。
なんでシャアっぽいのだけ出てきた?
しかし、何故フル・フロンタルというシャア似のキャラが出たのか シャアに似せたキャラを出すのならアムロに似たキャラも出ておかしくないのではないのかと最終話まで思っていましたが、最終話のほんの少しのやりとりでスッキリしました。
逆襲のシャアでシャアは地球から人類の粛清を企てたが アムロとともに人類の力の光をみて思念となるが、ラプラスの箱であるオリジナルの「宇宙世紀憲章」碑文の末尾に付け加えられた条文が、シャアの思念を動かし、用意されてしまった器に近づき影響したのではないかと思いました。
最後、人類の歴史を見せたのはシャア・アズナブルであったのではないかと思いました。その上でのバナージの選択からアムロとララァ・スンとともに逝ったのではないのかなと。
まぁ現実はそんなに甘くないわけで
さて、そんな感じでニュータイプのような言葉だけでなく、感覚や思念で分かり合える人類ならいいなぁと思います。
そんな世の中になったら、僕の仕事はなくなってしまいそうですが。
で、そんなふうに思いながら言葉でしか わかり合うことができない。というか言葉ですら わかり合うことができない現代の人類な訳です。
少し前にお仕事で面談を行った家庭がなかなかまずい状況で何故こうなる前にどこかで気付けなかったと自分を責めるような状態です。
こうなる前に何か気付けたら、言葉にできない気持ちを 思いを感じ取ることができたらと思うことが少なくありません。
言葉は使いにくい。でも使うしかない。
自分がよく思うことなんですが、感覚や気持ち、思いをまず言葉にするってすごく難しいことですよね。
言葉とは各人間が共通して認識できる物でないといけません。そうでないと通じない。だから物を指差してあれは〇〇です。というと皆同じ言葉で同じ物のことを認識できます。
しかし、感覚や気持ちや思いは他の人に見せれないのです。態度や表情に表せても、どうやっても言葉で共通の物として表すことができないのです。
SF物のアニメや映画だと簡単に脳の中にアクセスしたりできますが、今この現代ではできません。どうしてもこの不便な言葉を使って話をして行くしかないのです。
言葉という不便な道具に、頼るしかできない自分がどうにもつまらなく思ってしまいます。
何故こんな不確実な伝達方法なのか。もっと正確に伝える方法を他の動物たちのように遺伝子に刻み込むことはできなかったのか。(まぁ正確に伝わってるのか知りませんけどね。鳴き声とか。)
ガンダムUCを見終わってそんなことを考えています。