足をついてもいいやんか

ゆっくりのんびりですよ

ことばにならない声

この記事では障害に関しての事を書いています。障害の害と言う字に関しては色々と意見があると思いますが「障がい」や「障碍」と表現せず「障害」と表現しています。不快に思われる方もいらっしゃるかと思いますが、自分自身が「障害者」と言う表現に不快感を持っていない。また「障害」と「人」とは別であると言う観点から使用しています。

ことばで表せないような、それでも訴えたいこと

衝動的なこと、悲観的なこと、それでも誰かに訴えたいこと。そう言う時が時々あります。普段なら少しずつ小分けにして言葉に文字に出していけるのですが、何か調子の悪い時にそう言うことが出てきてしまうと、ことばで文字で出す前に別の行動で出てしまうことがあります。物に当たったり、他者を傷つけたり、自分を傷つけたり。

精神障害者である自分も時々あることです。主な原因はストレスから。

でも今日の本題はそう言うことではなくて、言葉の発することができない、表現に制限がある知的障害のある方のことについてです。

僕の仕事について少しだけ

僕はとある福祉関係の事業所で主に知的障害のある方の通所の生活介護で仕事をしています。ある程度言葉を理解できる中度の方から言葉によるコミュニケーションが取れない重度の方までいろいろな方が利用されています。そんな中で生活支援員としてお仕事をさせてもらっています。

知的障害の方の行為の意味とは

知的障害のある方の行為について色々と意味を理解し、意図を汲んで対応するのが僕たちの仕事であるわけですが、意図をなかなか理解し難いのが自傷・他害行為であると思われます。自分や他者を傷つけてまでの行為を示すのです。その行為には一体どれほどの意味を含んでいるのでしょうか。少しでもことばでのコミュニケーションが取れる方なら時間をかけてその意味を解いていけばいいのですが、そう言うことができない方に関してはどのように対処していけばいいのか全くわからないことがあります。

そんな利用者の方の一人にとても辛そうな、泣きながら自傷・他害行為をする方がいます。

その方はきっと辛いことがあってそう言う行為に至っているのだと思われるのです。なので止める時に(止めざるを得ない状況で自傷・他害行為をすることが多い)「辛いんな、しんどいんな」と声をかけながら止めに入るのですが、原因がわからない物ですから中々止めることができません。他害行為として僕を傷つけに来る相手に対して必死で止めるだけ。ほぼやられっぱなしです。

そんな時に学生バイトの子が僕の様子を見て「本当に辛いんかな?しんどいんかな?」と小声で言っているのが聞こえました。もちろんその通りだと思います。確証なんてありません。誰にもわからない。本人さえも自覚してその行為に至っているのかわからないのですから。

僕も確証を持ってその言葉をかけているわけではありません。ただ、自分だったらここまでなる場合、大抵の時はとても辛くしんどい状況。もうどうしようもなくしんどくておかしくなって痛みを求めることが楽しくなった時期も経験しました。ことばではどう表現したらいいかわからなくて、暴れ回ると言う事をしたこともありました。そう言う経験から、辛いんじゃないか、しんどいんじゃないかと考えて言葉かけをしています。

答えのない、正解のない手探り状態のなかで

障害者支援にマニュアルは無いし(虐待防止とか接遇とかのマニュアルはもちろんありますが)答えも明確にはありません。そんな中で手探りで支援をしていく必要がありますが、その手探りの中では自分の経験と言うものは一つの大きな土台としてあると思います。僕自身が精神障害者と言う種別は違えど障害者と言う枠の中に入っていると思うところから、他の支援者の人とは少し違うアプローチをしているのかもしれません。

それがいいことなのか悪いことなのか、それもわかりませんが、自分には自分にしかできない支援をやっていこうと思っています。それが自分の支援の質を高めていき支援を受ける方のニーズに答えていける方法の一つとなると信じているからです。

ことばにならない声をどう受け止め、それに支援と言う形でどう返していくのか。
支援員として常に考えていかなければいけないことであると思うところです。