ハッとして一歩下がる
なんか、人間として社会生活を送る上で不良品なんだよなぁ、自分はって駅のホームでふと考えてしまって、ハッとして一歩下がってしまった。
— いちごようかん (@ichigoyoukan) 2019年1月14日
こんなことがありました。
あまりいいニュースではないことも聞いた、言いにくい休みを欲しいことを伝えた。
そのほかにも色々とあり、今日は疲れていたと自覚している。
しかし、鬱や躁の状態ではなかったと思う。
それでもツイートに書いたようなことを考えてしまった。
何故かっていうと最近多汗症のことについて書いているけれども、やっぱり病院に行ったりそのことについて書いたりすると、昔にあった多汗症に関することを思い出したりするから。
多汗症に関することはほとんどが嫌なことばかり。
でも、昔治療をしようとした皮膚科があまり専門的なところではなく、今のような漢方の内服薬と塩化アルミニウムの塗布による治療で先ずは始めてみましょうなどと行ってくれるようなところではなかった。
それに思春期もあり、あまり治療に積極的にならず、その頃から人とのコミュニケーションが苦手になってきたのかも知れない。
それと、多汗症。知らない人はやっぱり知らないので説明するんだけども。笑って。なるべく嫌がられないように。
嫌われないように。手を拭いている姿が変な人に見えないように。
それでもすぐに手に汗が出て光ってしまう。手拭いを握ってなんとかごまかして。
社会生活を送る上で不良品っていうのは、社会生活の中で一番基本なのって接触するコミュニケーションだと思う。
基本というか中核というか。日本は言語コミュニケーションが主で他人とのコミュニケーションで接触することってなかなかないとは思うけれども、でも大事なコミュニケーションは接触することだってみんなわかってると思う。
恋人なら手を繋ぐだろう。僕にはそれが難しかった。親子なら手を繋ぐだろう。僕は最近それを拒否される。子供のほっぺをギュって挟みたい。濡れるからやめてって言われてしまった。
きっと、握手を求められると手をしっかり拭いて握手するだろう。それでも常に汗に濡れている手は、水をふんだんに含んでシワシワで独特の感触。怪訝な顔で一瞬見られ握手はすぐに解かれるだろう。
それくらいに接触というコミュニケーションが僕には使えないのだ。
不良品の手だと思う。
ただ、今は病院に行きだした。この不良品の手をなんとか少しでもコミュニケーションに使える手になれるように。
希望はまだある。ここでハッとした。
知らぬ間に点字タイルを踏んでいた足は一歩下がった。