足をついてもいいやんか

ゆっくりのんびりですよ

昨日は末っ子さんの1歳の誕生日でした。

タイトルの通り、末っ子さんの誕生日でした。

生まれてきて1年。長かったようで短いような感覚です。


ところが、僕にとってはこの末っ子さん。少し思うところがある子なのです。末っ子さん自体に何かあると言うわけではないのですよ。


躁状態の時に意図せずできた子であると言う認識があり、自分にとってはその存在が自分の失敗を思い起こすこととなっており辛い部分があるのです。妊娠を知り、生むか生まないかで妻と揉めたこともありました。生まないと言う選択をすれば離婚をすると突きつけられ、渋々と折れた部分もあります。自分の責任もありますし、できた子は授かりものであるのだし妊娠を継続していこうと思うまでに相当な葛藤と決意が必要でした。そしてかなりの不安定な状態になり死を考えたこともあるくらいでした。

さらに、生まれたのが僕が仕事復帰をして2ヶ月目で、まだしんどい時でした。今もしんどいですが今よりはもっとしんどかったです。状態も不安定でしたし、家に帰れば鬱状態から動けないことや躁状態で自分のやりたい事をやることが多い日々。主にお世話をしていたのは妻と長男です。僕は成長にあまり関わってこなかった。自業自得ではありますがあまり懐かれていません。

そんな関係ではありますが、自分の子に変わりはなく1年無事によく育ってくれたなぁとは思います。本当によく育ってくれた。

この家族の関係がいつまで続くのかはわかりません。正直子供のためのATMくらいにしか思われていないのだろうなと最近思っています。自業自得ではありますが病気のせいである部分もあります。しかし病気だろうがなんであろうが育児に関わってこなかったのは僕だろうと妻に言われることがあります。

それと最近、長男の存在が疎ましく感じる部分が多くなりました。長男は妻の連れ子で僕の子ではありません。その子が妻にべったりで末っ子にもべったりです。小六でそんなに母親にくっつくものかと不思議に思えるほどべったりです。末っ子さんのお世話に関しては助かった部分、任せていた部分が多くあり、助かりました。しかし本来は僕がする部分も多くあり躁状態の時には機会を奪われたと思っていたくらいでした。そしてその感情や思いだけ残り燻っています。

正直な事を言うとこのままATMとしてこれから先末っ子さんが20になる19年後まで生きるよりも、ここで自由になりたいと言う思いが強いです。
自分勝手な事を言っていますが自分が父親としていい影響を与えるかと言うと定期的に狂う人間がそばでいるよりも離れた方がいいんじゃないかと言う思いもあり、離れるべきなのではないかと思っています。あとキャパシティオーバーを常に起こしているような感覚もあり正直しんどいのです。

家族であり、平等に扱うべき対象である子供でもある長男への確執、4人の子を育てるという大変さから来るプレッシャー。仕事のしんどさ。妻とも最近はあまりうまくいっているとは思えません。

大半の理由は自分にあり自分が悪いんですけどね。ちょっと吐き出したいと思ったのです。