足をついてもいいやんか

ゆっくりのんびりですよ

リスクの先に利益がある時。しかもそれが子供の体で起きている時。判断できるのか。

さて、今回の左手の手掌多汗症の手術。成功で終わりました。途中に色々とあったようですが、全身麻酔中の僕は全く知ることもできずに、両親にリスク選択され、お医者さんたちの努力の結果か、幸運かリスクは回避され無事成功という利益を得たのでした。

何があったかというと、脇の下に穴を開けて胸腔鏡をいれ、肺を萎ませて背骨のそばにある交感神経に達して切除をするのですが、僕の肺が大きな動脈と神経に癒着を起こしておりうまく萎まないということがおきました。そのため、その癒着を切り取り手術を進めるか、やめるかというという選択肢が生まれました。

元々この手掌多汗症の手術。やらなければ生命に関わるとかそう言った類の手術ではなく、生活が便利になる、生活の質が上がるといった性質の手術です。なので、大きな動脈と神経の癒着の剥離といったリスクを背負ってまで手術を続けるのかという選択肢が先生たちの中では出てきます。

そこでこういう時のために待機している家族が呼ばれ、聞かれたそうです。で、父親が速攻で続けてくれと、その為に色々なことをしてきたんだと言ってくれたそうです。

で、剥離は無事終わったんだと思います。交感神経の切除もいい感じで終わったようです。今回も代償生発汗や副作用は今のところ出ていません。あ、ちょっと左胸のあたり痺れてますけど段々と範囲が狭くなってるので大丈夫そうです。

さて、自分は父親のように自分の子供たちが同じような状況になった時に正しい判断を下せるでしょうか。父はこの手掌多汗症に対しての僕の思いを何気なくではありますが正確に知ろうと常に思ってくれていたんだろうなと思います。
そうでなければ、いったん手術を止めてまで家族の意向を聞きにきた事についてすぐに判断するということができないと思います。

自分にもその判断が求められた時、正しい判断が下せるようにしておきたいなぁと思うとともに、父には感謝をしないといけないなぁと思う出来事でした。