足をついてもいいやんか

ゆっくりのんびりですよ

雨の日

鬱々とした雨

昨日からの雨が朝から続いており、起床後もあまりいい気分ではなかった。

世の中は連休明けの慌ただしさの中にあるのだろうが、家の中でその慌ただしさの中にあるのは子どもたちだけだった。

妻は体調が悪いのか体が思うように動かない様子である。
これは子どもたちの幼稚園への送迎は自分がしなければいけなさそうだと思い用意をする。

幼稚園では子どもたちが登園し、親たちは送り届けると自分の仕事に向かう、もしくは家事を行うために家に急いで帰るため忙しそうだ。

そのような光景をながめながら、雰囲気を感じながら、自分はなんなのだろうと思えるのだ。

時々、なんのために休んでいるのかわからなくなる

今現在、仕事を休職して病気の療養を行っているが、調子の良い日が続くとなんのために休職しているのかわからなくなるときがある。

自分なりに普通の考え方ができていて、集中力もあり判断もできる。と思えている。
病識が薄れているからそんな考えが出てしまうのかもしれないが、客観的に見て、発症前の能力と比べれば今がそんなに劣るとは思えないのである。

そんな状態の時は無性になぜ休んでいるのか、働いてはいけないのかと言う思いが強くなる。

だから思う。
この時間は一体何のためなのか。

自分と向き合う時間

診てもらっているドクターからは1年間はじっくりと様子観察をしたいということは言われている。つまりその間は仕事に復帰はおそらくできないだろうということだ。

最近やっとその事を受け入れる事ができてきた。

最初はそうは言いつつも半年くらいで復帰できるんじゃないかと思っていたのだが、そろそろ、双極性障害と診断されて半年。ドクターからは仕事の話など一切出てこない。

この半年は、早く復帰したいという思いや病気でコントロールできない自分の気分に振り回されたように思う。
診察のたびに、なにか少しでも復帰にむけて進んでいけないかという思いが強くあった。それが見えてこないことに焦りがものすごくあったように感じる。

この焦りが有ることに気がついたとき、もし、もう仕事に戻らなくてもいいんだったらどうなるんだろうかと考えてみることにした。

ふと、焦りが消えたような気がしたのだ。

焦っている自分がいなくなったような気がした。その分不快に感じていることが減るような感覚。楽になるという感覚。

あぁ、これでいいんだなと思った。
この1年間。復帰してもいいよと言われるまで自分から焦って復帰に向かう必要はなかったんだなと。

楽に生きていい

今日は一日、この雨が続くだろう。
だから洗濯は1回でいい。溜まっているからって2回したら乾かす場所が無い。
余裕がなくなる。

それと同じなのかもしれない。
焦りをなくして余裕を持つ。そうでないと病気でコントロールできない感情の行き場がなくなってしまう。

そう考えよう。それを練習する時間だと思おう。
そう思えば自分の今の時間になにか意味が有るような気がするから。

そう思うことで、楽になることができる。
社会に関わるの中で劣等感を感じることが少しでも減らせるんじゃないか。

そう、思いたい。
雨はまだやまない。