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2020/07/13 過量服薬(OD)で救急搬送されました

過量服薬、ODとも言われていますが、自傷行為の一つとされています。
その時の僕の心理的には自傷ではなく自死を決意しての行為だったのですが、結果未遂となっており、まわりからは自傷行為として捉えられているようです。

過量服薬による自傷行為は2回目で1回目は飲んだ薬の量などを通院している病院に問い合わせ問題がないこと(命に関わる危険がないこと)を確認した上で起きるまで待てば良いと言われたそうなのですが、今回は救急搬送となりました。

何故、過量服薬による自傷行為(自殺未遂)を行ったのか、自分で検証するための記事です。途中で読むのが辛くなる方もいるかもしれません。その場合はブラウザバックされることを推奨します。

過剰服薬を決意した理由

明瞭な記憶がはっきりとはなく、考えられる理由としては服薬している向精神薬が合っていなかった、双極性障害うつ状態がひどくなっており希死念慮が強く出ていたなどが合ったと思うのですが、これといってはっきりとした理由はありません。前の週は仕事に行っており特に何かあったという訳でもありません。自分としても明確なこれと言った理由はなかったと思っています。

ただ、この過量服薬を行う1週間ほど前からここから飛び降りたらどうなるだろう、駅のホームで通過電車がくる前に飛び込んだら、信号を無視して走って渡ってみたら、電気コードをドアノブに巻いてそこに首をひっかけたらなど、そのような考えが常に浮かんでいたように思います。

あと、酷い疲労感や孤独感、絶望感などが強かったように思います。この辺りの感情と薬があっていないと思う部分や希死念慮が合わさったところに、薬を管理している袋の中にあった残薬を見て多く飲んでしまったという感じでした。

そのような感じなので自死を決意というよりは、やはり過量服薬での自傷行為を行ったという周りの認識の方があっているのかもしれません。

7/12 過剰服薬

過量服薬をしたのは7/12でした。
とにかく薬を飲んでもう、起きる事のないように、目覚める事のないようにと思いながらひたすら錠剤をシートから取り出しては飲んでいました。2種類の薬を飲みましたが合計で84錠を飲みました。

調べてみると両方の薬とも過剰服薬ではほぼ死に至るところまではいかず、常識的に考えて飲めない量を飲まなければ死ぬことはないとされています。なのでこの84錠という量はそれほど大した事のない量であったのかもしれません。

そして、目覚めを期待しない眠りにつきました。

7/13 通報から搬送

ここから先のことは目が覚め、薬が抜けてきて朦朧とした状態が抜けるまではほとんど聞いた話になります。

翌日、朝僕が起きてこないと妻に父から連絡が入ったそうです。
当然、薬をそれだけ飲んでいるので昏睡状態であったからです。起きてこない事、机の上に薬の空になったシートが散乱している事を告げ、来て欲しいと伝えたようです。妻が来て薬の内容を見て救急搬送した方がいいと判断したようで救急搬送されたようです。
病院に到着し、まずは胃洗浄をされたそうですが、飲んだのが当日の日が変わってすぐなので胃の中に薬は残っていなかったようです。しかし昏睡状態であることから様子観察が必要とされ入院となりました。その間に妻に聞き取りが行われ色々と聞かれたようです。

7/14 退院

7/14の何時かは分かりませんが目が覚めました。目が覚めたと言っても、意識は朦朧としており自発的に何か動けると言った状態ではありませんでした。また記憶もほぼありません。点滴を抜かれ、尿道カテーテルを抜かれたことは記憶に残っています。しかし帰るための着替えをした記憶や歩いた記憶などは残っていません。

そしてその日は定期の精神科通院の予約日だったのですが、それに連れて行かれたようです。診察の記憶も残っていません。

あとはコンビニで何か買い物をしようとしたことと、道端で転けて周りの人に大丈夫ですかと声をかけられたような記憶が残っています。

7/15〜20

とにかく身体が怠く、座ることに大して体力を使っていると感じるような状態。2時間ほど横になり30分程度座れるというような状態。集中力もなく何もできませんでした。また、横になっているからと言ってぐっすりと眠れる訳でもなく、1時間程度の睡眠を日に何度も繰り返すような感じでした。

またこの日から薬の管理が家族管理に変わっていました。今まで自己管理していたのですが、過量服薬をしたということでこれまで余っていた薬などは全て捨てられ、その日に飲む量だけを出されるという形に変わっていました。

この間、まだ希死念慮はあり、どうにかして自死できないものかと考えることが多かったです。しかし身体が言うことを聞いてくれないと言う感じで実際に実行することはありませんでした。

7/21 精神科通院

1週間が経ち、再び精神科の通院日となりました。
まだ、状態としては悪くフワフワとした感覚が時折あり、物事に対しての考え方としてもマイナスな方向へ考えがちで希死念慮もありました。
診察のほとんどの受け答えを妻が行い最終の判断を僕に聞くと言う感じの診察でした。

この時、何気なくドクターの使っているPC画面が見えている位置に座っていたのですが、自分のカルテの病名の欄がやけに文字数が多いことに気がつきました。その中でも双極性障害については知っていて治療を受けていると言う共通認識を持っていると思っていたのですが、統合失調症とも書かれていました。これについてはいつ診断がついたのか分かりません。次回の通院で聞いてみたいと思っています。

2020/8/4追記 統合失調症については薬を出すために追加したとのことでした。実質的に統合失調症ではないが、保険適用として統合失調症の薬を使うために追記したとのことでした。

この時の通院で、レキサルティと言う薬からエビリファイと言う薬へ変更しました。変更というか戻しました。ドクターの方から提案があったのでそれに従った形となりますが、ドクターからの提案がなかったらこちらから言うつもりでした。どうも今回のような調子の悪さはレキサルティへの変更後からあるような感じがしたからです。また、休職を1週間伸ばしてもらうための診断書を書いてもらいました。

レキサルティへの変更は僕からの主訴で行われました。主訴の内容としては妄想のような考えが現実に起こっているのではないのかと思えてしまうというような内容です。どのような妄想かは今回あまり関係ないですし個人の秘密ということでここでは書きませんが、あまり良い内容ではなかったです。それに対する薬としてドクターが考えて出してもらったのがレキサルティでした。レキサルティに変えてからその妄想は出てこなくなり楽になった時期もありました。しかしその頃から躁と鬱のコントロールが難しくなったり希死念慮が強くなったりすることがたびたびありました。薬の量をコントロールしてなんとかレキサルティを続けられないか試していたのですが今回の様な事になってしまいました。なのでレキサルティをエビリファイに戻してもらいたかったのです。

通院後、診断書を職場に提出しに行きました。そこで職場の一番偉い方と看護師さんとの面談を行いました。前週は妻が診断書を提出してくれていた様なのですが今回はできれば僕にきて欲しいとのことで、僕が行ってきました。休職が1週間伸びたということで、おそらく職場の方で考えていた様な復職に向けてのプロセスについては話すことはなかったのでしょうが、僕の中ではそろそろ片付け始めておかないといけなかった月末処理の仕事をお願いできたのでそれはそれで良かったと思っています。

7/22〜26

相変わらずフワフワとした感覚が抜けず、起きている時間も短く体を横にしていないと辛いという状態でした。それでも少しづつではありますが身体は回復を感じてきていた時期であると思います。睡眠も短時間しかとれなかったのが少しづつ時間が伸びてきたり、長時間座っていられる様になってきたりと言ったところです。また、レキサルティの影響が抜け始め、希死念慮と言った物を考えなくなってきていました。代わりに無気力状態がしばらく続いていました。で、無気力状態もしばらく続いたあと少しづつ消えていき、何かしようという気力が出てくる様になりました。その頃にはフワフワとした感覚は消えて過量服薬による影響もほぼなくなっていました。

終わりに

この記事内では書かれていませんが、先月あたりから調子の悪いことがあり仕事を休むことがあったりする日がかなり増えていました。また、何かと無気力なことが多くあまり自発的に何かをすると言ったことをほとんどしていませんでした。
ブログを更新すると言ったこともほとんど行えていませんでした。

そう言ったこともあり、やはりレキサルティと言う薬は僕にはあっていなかったのではないのかなと思う感じがします。この薬が主たる原因だったのかもしれません。

しかし、主たる原因が薬であったとしても、ストレスであったりそれを発散する方法がなかったりする状態に気づけていなかった自分にも原因はあったと思います。仕事に行けるから大丈夫ではなく仕事ではやはりストレスを受ける物です。それに対して無気力状態が長く続いており、ブログやTwitterでの吐き出しと言った行為をとれていなかったことにもっと早くに気づいておくべきでした。

漫然と薬のせいにして、調整だけでなんとかしようとしていたところがありましたが、そうではなく日々の生活(仕事・プライベート)に着目してこの様な事態になる前に何かこの薬はあっていない感じがすると言うことに気づけていればと今になっては思うところです。

過量服薬をするまではこの薬で調整してなんとかして行かなければならないと言う観念に支配されていた様に感じます。薬を変えての調整期間なのだから「合わない可能性」についても考えておかなければならなかったはずでした。そう言った部分ではまだまだ病歴が浅いんだなぁ。病気について薬についての付き合い方が下手だなと思う部分であります。

無事この記事をかけている事に、そしてご迷惑をおかけした方々、治療をしてくださった方々に感謝をしてこの記事を締めたいと思います。