足をついてもいいやんか

ゆっくりのんびりですよ

自己肯定感を高める

自己肯定感。自分自身に満足できているか、自分の価値があるのかという感覚。

僕の鬱病双極性障害の始まりはこの自己肯定感の低下から始まったのではないかと思います。

何もかもがうまくいかないと思い始めた日々

生きていく上で、色々な所に所属しないといけません。生まれた時から親との家族関係に所属しているでしょうし、成長していく中で学校や職場、友達関係といった所属先というのは増えていくことでしょう。

この所属しているところがコミュニティや社会といったものにつながってくると思うのですが、その中でうまくいかないことが出てくることもあると思います。

所属先が複数あればうまくいかなくなった所属先から離れることもできるでしょうし、一つがうまくいかなくなっても他のところでうまくいっていたらなんとかなるかもしれません。

しかし、どの所属先でもうまくいかなくなったら。

僕の場合、家庭、職場両方でうまくいかなくなりました。友達関係は全くといっていいほどないので、今思うとそういう関係性をしっかりと気づいておけばよかったなと思いますが、とりあえず、その時はもう遅いなと感じていました。家族と家庭しか僕にとっての社会はなかったのです。書いてて寂しいな。

そんな中で両方で行き詰まり、自分は何をしても失敗しダメな人間だと思いはじめ、毎日が辛くなり、ある日職場で動けなくなりました。

新たなコミュニティ作り

別に新しい組織を作るというわけではありません。自分にとっての社会関係を増やすという意味でのコミュニティづくりです。

鬱となり双極性障害と診断されてから長く休職し会社という社会から切り離されて自分にとっての社会、所属先は家庭だけになった時期がありました。

家庭は家族との社会。必要とされる自分の役割は収入を得ること。父親としての役目。

収入を得るには会社、職場が必要とされる状態です。しかしそこからは切り離されている。家庭でその切り離されている状態を容認してくれて、元気になるまで療養することができていたならよかったのでしょうがそういうわけにもいかず、また自分で自分を追い込んでしまうという癖もあり病状はあまり良くなりませんでした。

父親としての役割もそのような状態ではうまく果たせず、妻や子供との関係もおかしなことになっていきました。

友達という存在が近くにいてくれればよかったのかなぁと思い返してみたりもしますが、その当時、現在もですが僕は友達関係というものを築くのが下手で友人と呼べる存在がいません。

そんな中で使ったのがTwitterでした。

Twitterで同じ病気の人をフォローし、辛いことなどを共有し、それに対してアクションが返ってきて少し楽になりました。

職場復帰してから

職場復帰してもしばらくは、ダメなやつだと思い込んでいる自分は、何をするにしても自信が持てず、指示待ち自分で考えないという働くという意味で全く使えない状態の人でした。

そんな状態でまた具合が悪くなり自分で自分を傷つける行為を繰り返し、休職を何度か繰り返して今いた。

それでも少しづつ良くなっていったのは通院で先生との会話の中でその行為すらも強い否定はなく少しづつねという言葉かけをもらったり、Twitterで大丈夫ですか?といったリプライをもらうことで、少しでも心配してくれている人がいるんだなと思うことができたからではないかと思います。

またこの頃から病気に関してのことをオープンにしていました。

自分が色々なことができないことを病気のせいにするという形でのマイナスな意味での病気の公表です。

逃げ道を見つけるために病気のせいにしていました。そこしか救われる部分がないと思っていました。

そんな中でその逃げ道を否定される出来事がありました。

病気のことはわかるけど、役割ははたさないとダメじゃないか?

そう言われてしまいました。全くその通りであると思いました。しかしそれをするのが難しいと最初は考えていました。

無理なことを言う。またしんどい思いを繰り返すのか。もう辞めてしまおうか。

そんな考えが頭をよぎりました。

そんな時に職場の先輩から呼ばれ少し話をさせてもらいました。何が難しいのか、どう言うふうにすればそれができるようになるのか、問題の整理と解決のための道筋を立ててもらうことができました。

それを実行しなんとかその問題を解決することができるようになってから、少し変わってきたような感じがしました。

認めてもらえた

役割は果たさないとダメじゃないかと言われた方から、頑張ってるねという言葉をもらいました。

この瞬間に、あ、認めてもらえた。努力しても無駄じゃないんだ。と思うことができました。

3ヶ月くらいかかりました。普通の人ならすぐできるようなことだと思うようなことが。

すごい努力したように思いました。普通の人なら努力なんて必要ないようなことだと思うことが。

この普通の人ならと言う自分の思い込みが自分で自分のハードルを上げていたように思います。

頑張りすぎるのは良くない。でも努力しちゃいけないわけじゃない。時間をかけて、環境を整えて、準備をして、最後にほんの少し努力、自分の一歩を踏み出す。

自分のできる努力のペースを自分で覚えること。これができるようになったから、頑張ってるねっていう言葉をもらえたんだと思います。

自己肯定感、自分を認めることができてから

それから、欠勤の日数も減り、職場の人との関係も良くなり、少しづついい方向に回り始めたと感じることができるようになりました。

頑張ってるねと言う言葉もよくもらうようになり、自分もその言葉を言えるようにしていこうと思うようになりました。

病状の方では相変わらず変わらない部分もありますが、希死念慮自傷と言った部分はあまり出てこなくなりました。

自己肯定感を高めようとする方法はたくさんあると思いますが、僕はこんな方法で自己肯定感を得ることができましたと言うことを知ってもらえたらなと思い書きました。

難しいと思う方も多いと思いますが、自己分析して、難しいなら客観的な視点で見てもらって問題の分離とそれに対する解決方法、自分を変えていくのではなく、まずは環境を整えていく方向からのアプローチ、頑張りすぎないこと。全ての準備が整ったらそこで一歩踏み出すという努力をする。僕はこの方法で一つ問題を解決することができました。あと急がないこと。3ヶ月から半年ほどかけて一つの問題を解決しました。

でもその解決から自己肯定感が高まる出来事があり、数年間、硬く絡まっていたものが少し解けていっているような感覚になっています。

急がないこと、頑張りすぎないこと、他の人に頼ること。これも努力だと思います。

最後にできた自分にちゃんと気づくこと。これも大事かなと思いました。気づかせてくれる言葉をくれる人がいたからこそ気づけたのですが、そういう存在は大事だなと思いました。

ありがとうございます。